医療DXは進み、提供体制は動かない──「デジタル社会の実現に向けた重点計画」161ページの非対称【現場チェックリスト付き】
介護のKPIには人員配置の柔軟化があり、医療のKPIは労働時間の短縮にとどまります。閣議決定文書を全文検証しました。
はじめに
2026年7月21日、政府は「デジタル社会の実現に向けた重点計画」を閣議決定しました。
デジタル庁が公表した資料は、概要が4ページ、本文が47ページ、重点政策一覧が114ページ、統合版が190ページという分量です。
国のデジタル政策を1年分まとめ直した設計図にあたります[1]。
同じ日、在宅医療の現場から一つの指摘が出ました。
医療法人社団悠翔会の理事長で診療部長の佐々木淳先生が、Xに投稿したものです。
計画が示す医療・介護の生産性向上策について「方向性として妥当だと思う」と評価したうえで、「しかしこれだけでは現場は変わらない」と続けました[2]。
投稿の論点は明快でした。
電子カルテとクラウド、電子処方箋、マイナンバーによる情報共有基盤、AI、遠隔モニタリング、介護ロボット。
これらはどれも不可欠だとしたうえで、医療の側では職種間の柔軟な機能移管、業務独占の見直し、常勤や専従の要件、施設の配置基準の緩和といった論点にほとんど触れられていない、と指摘しています。
「誰が、どこで、何を担うか」という制度の再設計を避けたまま、既存制度の上にデジタルを載せても効果は期待できないのではないか、という問いかけでした。
私はこの指摘を、印象で受け取らずに文書で確かめることにしました。
本文と重点政策一覧を通して読み、加えて特定の語句が計画のどこに何回現れるかを検索しました。
以下は、その作業から見えたことの報告です。
指摘は計画の記述と一致していました。
そして、その問いに答えるための考え方が、同じ計画の別の章にすでに書かれていることも分かりました。
実務の期限も先に置いておきます。
電子カルテの認証制度づくりと、電子カルテ情報共有サービスの全国運用開始は、どちらも令和8年度中です。
標準型電子カルテの診療所への導入は令和9年度から。
医療機関の側から見ると、カルテの調達、院内の入力ルール、外部接続点の管理という3つが、今年度中に判断を求められる案件になりました。
政策の読み物としてだけでなく、自分の施設の予定表として読める部分があります。
この記事で使う言葉
重点計画:デジタル社会形成基本法にもとづき政府がつくる、デジタル政策の年次計画です。閣議決定されるため、各省庁の予算要求、法改正、システム調達の根拠になります。
DX(デジタルトランスフォーメーション):紙や対面で行っていた業務を、デジタルの仕組みに置き換えることです。
AX:今回の計画が前面に出した言葉です。計画の注記では、あらゆる組織でAIを前提として意思決定や業務の進め方を根底から見直すこと、と定義されています。
AIエージェント:人が一手順ずつ指示しなくても、目的を与えれば自分で手順を決めて処理を進めるAIです。計画は令和7年を「AIエージェント元年」と表現しています。
Rules as Code:法令や通知といった制度を、AIやシステムが読んで処理できる形に書き直す取り組みです。制度のコード化とも呼ばれます。
ベース・レジストリ:法人や不動産、住所のように、社会の基礎となる情報を国が整備する公的なデータベースです。
KPI:政策が目標に近づいているかを測る数値指標です。重点計画では施策ごとに設定されています。
VC(ベリファイアブル・クレデンシャル):資格や属性を、他人が検証できる形でデジタル化した証明データです。
第1章 今回の計画で、何が変わったのか
計画は冒頭で、めざす社会の姿を一文にまとめています。
デジタルの活用により、一人ひとりのニーズに合ったサービスを選ぶことができ、多様な幸せが実現できる社会。
そのうえで、これを「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化」につなげるとしています。
従来からの6つの推進方針、すなわちデジタル化による成長戦略、準公共分野のデジタル化、デジタル化による地域の活性化、誰一人取り残されないデジタル社会、デジタル人材の育成・確保、DFFTの推進を始めとする国際戦略は、引き続き維持されました[1]。
今回の版で明らかに重心が動いたのは、AIの位置づけです。
計画は、AI等のデジタル技術やデータが加速度的な変革をもたらすなかで、ルールや組織も変化を前提にした「責任あるアジャイルガバナンス」をめざす、と書きました。
そして、DXも活用しつつAIの利活用を一体的に推進するAXという言葉を掲げ、AIエージェントの徹底活用を通じた「自律型」「提案型」の行政サービスの実現、すなわち「AI駆動型国家」を目標に据えています[1]。
行政サービスの将来像は、本文でこう描かれています。
これまでのように、個人が必要なサービスを自分で調べ、市役所などへ物理的に出向いて一つずつ手続をするのではなく、AIエージェントが個人の意思にもとづいて必要な情報を自律的に取得し、必要なデータ連携を自動的に行うことで、負担なく手続が完了する。
そういう国をつくる、という宣言です[3]。
ミニまとめ
めざす社会像と6つの推進方針は前年から維持されました
今回はDXに加えてAXを掲げ、AIを前提に業務を見直す姿勢を打ち出しました
目標はAIエージェントによる「自律型」「提案型」の行政サービスです
ルールや組織も変わることを前提にする、という考え方が明記されました
第2章 なぜ急ぐのか、という前提の数字
計画がAXへ舵を切った理由は、精神論ではなく数字で説明されています。
本文が挙げる課題は3つです[3]。
一つ目は人口減少と人手不足です。
2050年の生産年齢人口は、平成29年の推計では約6,000万人でしたが、令和5年の推計では約5,500万人へ下方修正されました。
2025年の約7,400万人と比べると、約25パーセントの減少です。
一部の県では、生産年齢人口が現在の半数程度まで減ると予想されています。
加えて、経済産業省が令和8年3月5日に公表した「2040年の就業構造推計(改訂版)」では、2040年にAI・ロボット等の利活用人材が約340万人不足する可能性が示されています。
自治体の側では、いわゆる「ひとり情シス問題」が象徴的な形で現れています。
高齢化に伴う行政ニーズは人口が減ってもすぐには減らず、むしろ多様化して複雑になる。
道路や上下水道といった社会インフラの老朽化への対応も重なる。
だから省人化と効率化は急務である、という組み立てです。
二つ目は、生成AIとAIエージェントの急速な進展です。
計画は、世界の生成AI市場規模が2030年に50兆円以上になるという推計を引いています。
2022年の約2兆円と比べると、桁が変わる想定です。
同時に、自律性を持つAIが広まることで、個人の意思をどう担保するか、責任をどう置くかという新しい論点が生じているとも指摘しています。
本文の注では、人の関与の形として、Human in the loop、Human on the loop、Human in the leadという3つの考え方が並べられました。
三つ目はリスク要因です。
海外製のデジタル技術やSaaSが国内の基盤を支えるなかで、国際情勢の急変によりサービスが突然使えなくなる事態も現実的なリスクだとしています。
サイバー攻撃関連の通信数は2015年から2024年にかけて約11倍に増えました。
病院等の重要インフラや中小企業を狙うランサムウェアも増加している、と名指しで書かれています。
これら3つの課題に対して、計画は4本の柱と4つの横断的取組を用意しました。
ミニまとめ
生産年齢人口は2025年比で2050年までに約25パーセント減る見通しです
2040年にはAI
ロボット等利活用人材が約340万人不足する推計があります
生成AI市場は2030年に50兆円以上との推計が引かれています
サイバー攻撃関連の通信数は約11倍に増え、病院も名指しされています
第3章 医療について、計画は何を書いたか
医療は、3本目の柱である「国民の暮らしのAX/DX推進(安全で便利な地域の暮らし)」のなかに、「医療DXの加速」として置かれました。
柱の説明文は、官民の手続やデータ連携を円滑かつ安全に行い、質の高い医療など準公共サービスを実現する、というものです[1]。
本文の記述は具体的です。主な項目を順に見ていきます[4]。
電子カルテについては、令和8年度中に、クラウドネイティブであること等を要件とする標準仕様に準拠した電子カルテの認証制度を構築し、その普及を図るとされました。
開発中の標準型電子カルテの導入版は令和8年度の完成をめざし、令和9年度から診療所への導入をめざします。
歯科電子カルテは令和8年度から標準仕様の策定を進めます。
大病院を含む医療機関については、電子カルテと部門システムを連携させる標準インターフェイスの策定と、大病院向けクラウドネイティブ型製品の一体的な開発・普及支援が挙げられました。
電子カルテ情報共有サービスは、令和7年から始めたモデル事業で把握した課題に対応したうえで、令和8年度中に全国的な運用を開始します。
令和9年度以降は、共有できる情報の拡大が検討課題です。
具体的には、医療と介護の連携、歯科医療機関や薬局が持つ情報の活用が挙げられています。
電子処方箋では、利用者の体験を改善する目的で、マイナポータルを活用して処方情報を薬局へ事前送付する方策を令和8年度中に検討し、結論を得たうえで令和9年度以降にシステム改修を行うとされました。
あわせて、保健医療福祉分野で公的資格を確認するための基盤であるHPKIについて、安定稼働と普及の検討が続きます。
救急の場面では、マイナ救急の実施環境の整備が進みます。
救急隊員が傷病者のマイナ保険証から受診歴などを把握する取り組みを、厚生労働省が構築中の救急医療情報連携プラットフォームと連携させる方向です。
PHRについては、個人の日々の活動から得られるライフログを含むデータを扱う流通基盤を使い、地域の医療・介護連携における現場実証を行います。
有効なユースケースを創出し、それに対応するクリニカルパスの策定と検証を令和9年度までに行う、という工程です。
予防接種は、令和8年6月に予防接種データベースが構築されました。
実施状況や副反応疑い報告を匿名化して利用でき、他の公的データベースと連結した利用も可能になりました。
第三者への情報提供は令和10年度以降の開始をめざします。
自治体検診は、PMH(Public Medical Hub)の仕組みでデジタル化を進めます。
令和8年度は歯周病検診とがん検診に加えて、骨粗鬆症検診と肝炎ウイルス検診を追加した実証を行い、令和11年度からの全国展開をめざします。
医療費助成については、公費負担医療や自治体独自の医療費助成の受給者証としてマイナンバーカードを使えるようにする取り組みが続きます。
令和8年度は原子爆弾被爆者に対する医療の給付等を対象に追加し、参加自治体1,400団体程度をめざすと書かれました。
ここまで読めば分かるとおり、基盤整備という意味では医療の記述は薄くありません。
むしろ準公共分野のなかでは厚いほうです。
佐々木先生が「方向性として妥当」と述べたのは、この層を指していると読めます。
ミニまとめ
令和8年度中に電子カルテの認証制度をつくり、普及を図ります
標準型電子カルテは令和8年度完成、令和9年度から診療所導入をめざします
電子カルテ情報共有サービスは令和8年度中に全国運用へ移ります
電子処方箋、マイナ救急、PHR、予防接種、検診、医療費助成が並行します
第4章 KPIを並べると、介護と医療の非対称が見える
重点政策一覧は、施策ごとに取組概要、目標と取組期限、担当府省庁を記した文書です。
ここに、生産性をどう測るつもりなのかが表れます。
まず介護分野の項目を見ます。
取組概要では、介護テクノロジーの導入補助、定着支援まで含めた伴走支援、生産性向上推進体制加算の取得促進などを令和7年度までに実施してきたこと、その結果として介護テクノロジーの分野別導入割合が令和4年度と比べて増加したことが記されています。
そして目標として、令和22年に向けて介護職員の離職率の低下や人員配置の柔軟化などの効果の創出をめざす、と明記されました[5]。
KPIは3段階に分かれています。
基盤・環境の整備の段階では、ICT・介護ロボット等の導入事業者割合を令和11年に90パーセント、デジタル中核人材の育成数を1万名。
活用の段階では、1か月の平均残業時間の減少と、有給休暇の年間平均取得日数を令和11年に10.9日。
そして効果の創出の段階では、年間の離職率を令和11年に15.0パーセント、そして「人員配置の柔軟化(老健、特養、特定)」を8.1パーセント、という数値が置かれています。
最後の指標に注目してください。
人員配置の柔軟化が、達成すべき効果として数値化されています。
テクノロジーを入れた結果として、人の置き方そのものが変わることまでを、政策の成果に含めているということです。
ただし、この8.1パーセントが何を分母として何を数えた割合なのかは、計画本体には書かれていません。
数値の意味を確かめるには、厚生労働省側の説明資料や算定式の公表を待つ必要があります。
ここでは、指標として置かれているという事実だけを取り上げます。
次に、医療機関の項目を見ます。
取組概要には、生産年齢人口が減少し医療従事者の確保がますます困難となる2040年に向けて、限られた資源で質の高い効率的な医療提供体制を構築するため、医療機関の業務効率化と勤務環境の改善による生産性向上を進める必要がある、と書かれています。
手段としては、令和7年度の補正予算で措置したICT機器等の導入支援に国費200億円と都道府県100億円。
さらに、地域医療介護総合確保基金に新たな事業区分を設けること、業務効率化と勤務環境改善に計画的・積極的に取り組む病院を厚生労働大臣が認定する仕組みを創設することが挙げられ、これらを含む健康保険法等の一部を改正する法律(令和8年法律第31号)が第221回特別会で成立したと記されています[6]。
そのKPIは2つです。
令和11年度までに、長時間労働となる医療機関に勤務する医師の時間外労働の目標時間数を1,410時間にすること。現状は1,860時間です。
そして令和11年度までに、令和9年度比で看護職員の月平均超過勤務時間の削減をめざすこと。現状は5.1時間です。
どちらも意味のある目標です。
医師の働き方改革の文脈に照らせば、1,860時間から1,410時間への短縮は小さな数字ではありません。
ただし性質としては、同じ人が同じ仕事をより短い時間で終える、という方向に収まっています。
誰が何を担うのかという配分そのものは、指標になっていません。
念のため、私は本文47ページと重点政策一覧114ページの全文に対して語句検索をかけました。
「業務独占」「タスクシフト」「機能移管」「介護助手」は、いずれも一度も現れませんでした。
「人員配置」が現れるのは、先ほど引いた介護分野のKPIの一箇所だけです。
「医療提供体制」は2回現れますが、いずれも体制の再設計ではなく、効率化によって体制を構築するという文脈で使われています。
つまり、同じ「生産性向上」という言葉のもとで、介護は人の配分の変更までを効果に含め、医療は労働時間の短縮を効果としている。
この非対称が、文書のうえで確認できます。
ここで、三つの主張を分けておきます。
第一に、医療について職種間の機能移管や配置基準の緩和にほとんど触れられていない、という佐々木先生の文書の読み。
これは検証できる話であり、検証した結果は正しいものでした。
第二に、介護と医療のKPIの性質が違うという整理。
これは私が両者を突き合わせて見つけたもので、佐々木先生の投稿にある指摘ではありません。
第三に、だから現場の構造は変わらないだろう、という見通し。
これは佐々木先生の予測であり、私も同じ懸念を持ちますが、今後の観察でしか確かめられません。
検証できたのは、計画に何が書かれ、何が書かれていないか、というところまでです。
なお、投稿にある介護助手へのタスクシフトは、この重点計画そのものの記述ではなく、介護分野の別の政策文脈を踏まえた指摘だと理解するのが妥当です。
重点計画のなかで介護側が踏み込んでいるのは、KPIとしての人員配置の柔軟化です。
ミニまとめ
介護のKPIには「人員配置の柔軟化 令和11年 8.1パーセント」があります
医療のKPIは医師の時間外労働1,410時間と看護職員の超過勤務削減です
業務独占、タスクシフト、機能移管という語は計画に現れません
介護は配分の変更、医療は時間の短縮を効果としており、性質が異なります
第5章 計画のなかにある答え──Rules as Code
批判だけで終わらせないために、もう一つの記述を紹介します。
制度・行政データに係るRules as Codeの推進です。
計画はこう述べています。
現在は自然言語のみで整備されている各行政機関の所管する制度・手続、特に各種の給付・手当に関するものについて、AI等によって解読し処理可能とするためのコード化を進める。
これにより、たとえば制度改正があった際に、AIエージェントを使って改正内容を踏まえたシステム改修を迅速かつ効率的に進められるようにする。
令和8年度は、デジタル庁が関係府省庁と連携し、まず改正頻度が高い分野のデータ・ドキュメント、すなわち標準仕様書や申請書のコード化を進める。
そこで得た知見をもとに各府省庁向けの手順書やガイドラインを策定し、令和9年度以降は各府省庁が所管する法令、告示、通知、通達、Q&A等へ順次広げていく[7]。
対象は書類ではなく、制度そのものです。
条件と結果の組み合わせとして書き表し、機械が読める形に置き直す作業だと言えます。
制度が機械可読になれば、改正の影響範囲を追跡でき、システム改修の見積もりの精度も変わります。
同じ発想は、住民向けサービスの提供ロードマップにも現れます。
計画は、2030年代半ばころにめざす姿として、一人ひとりの住民がAIエージェントの助けを得て、必要な時に必要な支援を手続負担なく享受できるとともに、人材不足の深刻化に直面する自治体にとっても、少人数の職員で高品質な行政サービスを持続的に提供できる社会、を掲げました[1]。
短期は国の取組を2年以内、中期は5年以内を目途としています。
中期の説明文を、そのまま引きます。
AI可読な住民データ、コード化された制度(保育、介護など)を基盤に、AIエージェントが住民相談などフロント業務の多くを代行するとともに、申請の自動処理化を進め、職員教育や政策検討などバック事務の多くを担う。
図のなかでは、国が用意する「法令・通達・QA(AI-Ready化/コード化)」が、自治体側のAIエージェントを動かす土台として描かれています。
ここに、見落とせない一語があります。
コード化の対象として例示されているのは、保育と介護です。
医療提供体制は、この例示に入っていません。
だとすれば、佐々木先生の問いへの応答は、計画の外側にあるのではなく、計画のなかにある方法論をどこまで届かせるかという話になります。
人員配置の基準も、業務独占の範囲も、常勤や専従の要件も、突き詰めれば「どういう条件を満たせば、誰が、何をしてよいか」を定めた規則です。
それは本来、コードとして書き表せる種類のものです。
制度がコードになれば、次のような問いに機械的に答えられるようになります。
ある職種の業務範囲をこう広げたとき、影響を受ける通知はどれか。
人員配置基準をこう緩めたとき、どの加算の要件と矛盾するか。
ある地域でその変更を試行したとき、必要なシステム改修はどこまで及ぶか。
いま人手で数か月かけて確認していることが、机上で試せるようになります。
制度の再設計とデジタル化は、順番を争うものではありません。
制度が機械可読になっていない状態では、制度改革の影響範囲を誰も正確に把握できず、だからこそ改革が慎重になります。
逆に言えば、Rules as Codeは制度改革の前提条件を整える作業でもあります。
計画が掲げた「責任あるアジャイルガバナンス」、すなわちルールや組織も変化を前提にする、という言葉を本気で取るなら、医療提供体制を対象から外し続ける理由は薄いはずです。
参考資料として付されたAI・AX関連政策の一覧を見ると、準公共分野の医療に割り当てられているのは「電子カルテのクラウド移行」の1項目です。
同じ準公共分野でも、教育には教育特化AIと国産LLM、防災にはAI気象モデルと意思決定支援AI、自動運転にはE2Eの走行データ収集とAI安全性評価が並びます。
行政側には「制度・行政データAI-Ready化(Rules as Codeの推進)」が新規項目として置かれています。
医療の欄が基盤移行の1項目にとどまっている構図は、第4章で見たKPIの非対称と重なります。
ミニまとめ
計画はRules as Codeとして、制度をAIが読める形にする方針を書きました
令和8年度は給付
手当から着手し、令和9年度以降に法令へ広げます
中期ロードマップでコード化の例に挙がるのは保育と介護です
制度がコードになれば、制度改革の影響範囲を機械的に検証できます
第6章 医療機関にとって見逃せない、もう一つの記述
医療の話でもう一箇所、実務上の影響が大きい記述があります。サイバーセキュリティです。
計画は、大規模病院等がサイバー攻撃を受けた場合、診療機能の停止による地域医療への影響に加え、対策の充実が喫緊の課題になっていると述べたうえで、こう書きました。
特に、電子カルテ導入病院を中心に、多くの医療機関において外部接続点が多数存在し、管理が困難となっている。
この観点から、令和8年度は、外部ネットワークとの接続点が多数存在する医療機関に対して、その適正化を進める。
あわせて、対策費用を医療機関に対して補助する事業を行う[8]。
医療DXの章のなかでも、医療機関の情報システムのクラウド化が図られるまでの間においても、ネットワークの外部接続点の監視等による適正化を推進し、地域の拠点となる病院のサイバーセキュリティ対策を強化する、と重ねて書かれています[4]。
横断的取組の一覧でも、サイバーセキュリティの項目に「医療機関・中小企業等のサイバーセキュリティ対策」が置かれ、病院・個別システムの外部接続点の管理体制構築支援が挙げられました。
同じ横断的取組の欄には、デジタル人材の話もあります。
デジタル田園都市国家構想総合戦略にもとづく230万人育成目標は、令和4年度から令和8年度末までの5年間が期間です。
計画は、令和8年度末までの目標達成に取り組むとともに、令和8年度夏を目途に関係省庁会議と有識者会議を立ち上げ、令和8年度内を目途に令和9年度以降の次期目標と取組方針をまとめる、としています[9]。
医療機関の情報部門の人材をどう確保するかという議論は、この次期目標づくりの場に接続しうる話題です。
ミニまとめ
電子カルテ導入病院を中心に、外部接続点の多さが名指しで課題とされました
令和8年度に接続点の適正化と、費用の補助事業が行われます
デジタル人材230万人目標は今年度末が期限で、次期目標が年度内に決まります
医療の情報人材の議論は、この次期目標づくりに接続できます
第7章 現場のチェックリスト
計画の期限は令和8年度から令和11年度に集中しています。
立場ごとに、今年度中に手をつけておきたい項目と、その成果物を整理します。
クリニックの経営者と院長。
電子カルテの更新時期が令和8年度から令和9年度にかかる場合、認証制度の要件が固まる時期と重なります。仕様書に「標準仕様への準拠」と「クラウドネイティブであること」を評価項目として書き込み、認証取得後の版へ上げるときの費用の扱いを契約に明記してください。成果物は、その条項を含んだ仕様書です。長期の一括契約は避け、期間を区切るか途中で見直せる形にします。
標準型電子カルテの診療所導入は令和9年度からです。現在の保守契約の満了日を確認し、更新の判断時期がこれと重なるかどうかを、カレンダーに落としてください。成果物は、更新判断の期限を書いた1行のメモです。
病院の情報システム部門。
電子カルテ情報共有サービスの全国運用が令和8年度中に始まります。共有の対象になりやすい病名、処方、アレルギー、検査結果、紹介状の要約について、医師、看護師、事務のうち誰が入力し、どこまでを必須とするかを一覧にしてください。成果物は運用表1枚です。期限は全国運用が始まる前です。
外部ネットワークとの接続点を棚卸しし、台帳にしてください。保守用のVPN、部門システムのベンダー接続、検査機器のリモート監視、常駐端末、来客用の無線まで含めます。各行に責任者、契約の終了日、通信記録の保管先を埋めます。成果物は接続点台帳1枚です。補助事業の要件が示されたとき、これがあれば申請の準備が数日で済みます。
部門システムを個別に更新している施設は、標準インターフェイスの策定が進む点を踏まえ、個別の連携改修に長期の費用を固定しないでください。
在宅医と多職種のチーム。
電子処方箋については、マイナポータル経由の事前送付が検討課題になっています。薬局との現在の連携手順を書き出しておくと、方式が変わったときの差分がすぐ分かります。成果物は現行手順のメモです。
情報共有サービスで他施設から見える記録になることを前提に、訪問記録のうちどこまでを共有前提の粒度で書くかを、チーム内で決めてください。
すべての立場に共通する、いちばん大事な項目です。
職種の分担を組み替え、その前後を測ってください。まず移せそうな業務を3つだけ選びます。紹介状の下書き、検査結果を説明する前の準備、訪問予定の調整あたりが候補です。記録する項目は、業務名、担当した職種、所要時間、週あたりの件数の4つで足ります。あわせて、組み替えようとしたときに壁になった基準や通知の名前も控えておいてください。
集めた記録は、A4で1枚にまとめます。分担を変えて何分が浮いたか、そして何が壁になったか。この2点だけです。提出先としては、計画やガイドラインのパブリックコメント、所属する学会や病院団体、医師会の意見募集があります。介護のKPIにある8.1パーセントのような外から与えられた指標は、医療にはありません。自施設で置いた指標が、そのまま制度側の議論に出せる材料になります。
計画は毎年改定されます。
今回の版では、デジタル行財政改革会議が「AI・デジタル改革推進会議」に改組され、これを中心として省庁横断で法制度やガイドライン等の抜本的な見直しを行うと書かれました[1]。議論の場は用意されています。
来年の版に医療提供体制の話を載せたいのであれば、載せるに足る材料を今年のうちに用意しておく必要があります。
ミニまとめ
クリニックは、仕様書に標準仕様準拠と版上げ費用の扱いを書き込みます
情報部門は、共有項目の運用表1枚と、外部接続点の台帳1枚をつくります
在宅チームは、共有前提の記録の粒度をあらかじめ決めておきます
移せる業務を3つ選び、前後の時間と壁になった基準を記録します
まとめ
令和8年の重点計画は、医療の基盤整備について、これまででもっとも具体的な工程を書きました。
電子カルテの認証制度、標準型電子カルテ、情報共有サービスの全国運用、電子処方箋、マイナ救急、PHR、検診のデジタル化。
いずれも現場に直接届く項目であり、方向として否定すべきものはほとんどありません。
同時に、この計画は医療提供体制そのものには踏み込みませんでした。
介護のKPIには人員配置の柔軟化という数値が入っている一方で、医療のKPIは医師と看護職員の労働時間の短縮にとどまります。
業務独占、タスクシフト、機能移管という語は、本文にも重点政策一覧にも一度も現れません。
生産性という同じ言葉のもとで、測ろうとしているものが違います。
医療について制度の再設計にほとんど触れられていない、という佐々木先生の読みは、文書のうえで確認できました。
ただし、この計画はRules as Codeという方法論を持っています。
制度そのものを機械が読める形に書き直すという発想です。
適用範囲は現時点で給付、手当、保育、介護です。
ここに医療提供体制を加えられるかどうかが、次の版の焦点になると私は考えています。
制度の再設計とデジタル化は、どちらが先かを争う関係ではありません。
制度が機械可読でないかぎり、制度を変えたときに何が起きるかを誰も正確に予測できず、だからこそ改革は慎重になります。
制度をコードにする作業は、改革の速度を上げるための土台づくりでもあります。
デジタルを載せる前に制度を変えるのではなく、制度を機械が読める形にしながら、載せる。
その順序であれば、両者は同時に進みます。
よくある質問
問い:重点計画にはどの程度の拘束力がありますか。
答え:閣議決定された政府の方針であり、法律のように国民を直接拘束するものではありません。
ただし各省庁の予算要求、法改正、システム調達の根拠になるため、実務上の影響は大きくなります。
問い:標準型電子カルテの導入は義務になるのですか。
答え:計画に義務化の記述はありません。
導入版は令和8年度の完成をめざし、令和9年度から診療所への導入をめざす、という書き方です。
あわせて、クラウドネイティブであること等を要件とする標準仕様に準拠した電子カルテの認証制度を令和8年度中に構築し、普及を図るとしています。
問い:介護のKPIにある「人員配置の柔軟化 8.1パーセント」は何を測る数字ですか。
答え:重点政策一覧では、令和11年時点の効果創出を測る指標として、老健、特養、特定を対象に8.1パーセントという数値が示されています。
テクノロジーの導入によって人の配置を見直せた事業所の割合を指す指標と読めますが、算定方法の詳細は計画本体には記載されていません。
厚生労働省側の資料で確認する必要があります。
問い:医療提供体制の議論を、この計画に反映させる道はありますか。
答え:計画は毎年改定されます。
今回の版で、デジタル行財政改革会議が「AI・デジタル改革推進会議」に改組され、省庁横断で法制度やガイドライン等の抜本的な見直しを行うと書かれました。
制度側の見直しを担う場として位置づけられています。
参考資料
[1] デジタル庁「令和8年『デジタル社会の実現に向けた重点計画』(概要)」2026年7月21日閣議決定 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/e57711d5/20260721_policies_priority_outline_01.pdf
[2] 佐々木淳(医療法人社団悠翔会 理事長・診療部長)による投稿、X、2026年7月21日 https://x.com/junsasakimdt/status/2079462168039510403
[3] 同計画本文「(2)我が国が直面する課題とデジタル政策のアップデート」「4.取組の方向性と重点的な取組」 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/208168e8/20260721_policies_priority_outline_03.pdf
[4] 同計画本文「③ 医療DXの推進」(電子カルテ、病院システムのクラウド移行、電子処方箋、マイナ救急、PHR、予防接種、自治体検診、医療費助成) https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/208168e8/20260721_policies_priority_outline_03.pdf
[5] 同計画 重点政策一覧「3-54 介護分野のデジタル行財政改革事項」 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/a9e38e03/20260721_policies_priority_outline_04.pdf
[6] 同計画 重点政策一覧「3-57 医療機関等におけるDX・業務効率化の推進」 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/a9e38e03/20260721_policies_priority_outline_04.pdf
[7] 同計画本文「ウ 制度・行政データに係るRules as Codeの推進」 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/208168e8/20260721_policies_priority_outline_03.pdf
[8] 同計画本文「④ 医療機関・企業のサイバーセキュリティ強化等」 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/208168e8/20260721_policies_priority_outline_03.pdf
[9] 同計画本文「①『230万人目標』の達成状況を踏まえたネクストステップ」 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/208168e8/20260721_policies_priority_outline_03.pdf
[10] デジタル庁「AI駆動型国家の実現に向けたAI・AX関連政策」(参考資料)2026年7月21日 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/dfa46b35/20260721_policies_priority_outline_07.pdf
[11] デジタル庁「第1次公的基礎情報データベース整備改善計画(改訂版)」2026年7月21日 https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/3ef4012a/20260721_policies_priority_outline_05.pdf
[12] 経済産業省「2040年の就業構造推計(改訂版)」2026年3月5日公表(計画本文の引用による) https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/208168e8/20260721_policies_priority_outline_03.pdf
[13] 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(計画本文の引用による) https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/208168e8/20260721_policies_priority_outline_03.pdf
[14] 総務省「令和7年版 情報通信白書」(生成AI市場規模推計、計画本文の引用による) https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/208168e8/20260721_policies_priority_outline_03.pdf
[15] 健康保険法等の一部を改正する法律(令和8年法律第31号)第221回特別会にて成立(計画 重点政策一覧の記述による) https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/a9e38e03/20260721_policies_priority_outline_04.pdf
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閣議決定文書を精査したうえで、介護のKPIには「人員配置の柔軟化」が組み込まれている一方、医療は「労働時間の短縮」止まりであるという構造的な違いを明確に示した分析に深く納得しました。デジタル機器やシステムの基盤整備を進めるだけでなく、既存の配置基準や業務範囲という制度側の枠組みそのものに切り込まなければ現場の負担が根本的に変わらないという論点は、医療提供体制の今後を考えるうえで極めて重要だと感じます。